エリザベートをより深く楽しむ1~ハンガリー王冠戴冠式の影で
ハプスブルク家の黄昏に
宝塚歌劇団の超人気演目「エリザベート」の有名台詞です。
冒頭に出てくるこの言葉、さらっと流してしまいそうになるのですが、このHPが取り上げるチェコ、ハンガリー周辺諸国にとっては重大な意味を持ちます。「エリザベート」は「ハプスブルク家」(正確にはハプスブルク=ロートリンゲン家)で「ある程度」まとまっていた中央ヨーロッパが分裂・自立していく物語でもあります。
第二次大戦はなぜ発生したのか?
第二次大戦がなぜ発生したのか?簡単には答えは出ないのですが、第一次大戦から続けて考えるのが現在の主流でしょう。
では、第一次大戦の結果どうなったのか?一番大きな事は
・オーストリア帝国=ハプスブルク帝国が崩壊し、チェコスロバキア、リトアニア、ポーランド第二共和国などが生まれた。
でしょう。
『つまり、「ハプスブルク家の黄昏」を知る事で第一次大戦、第二次大戦へと連なる中央ヨーロッパの歴史を知ることができます。
今回「エリザベート」には描かれなかった歴史を紹介しましょう。
第一次大戦の原因 サラエボ事件
第一次大戦の引き金を引いたのは、サラエボ事件(1914年)です。ハプスブルク家の皇位継承者フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィー(皇太后様ゾフィーとは別人)が暗殺されました。まず、あまり知られていない事ですが、このゾフィーはボヘミアの伯爵家出身で身分違いの結婚でした、
さて、ここで2つ問題です。
1 フランツ・フェルディナントとフランツ・ヨーゼフとの関係は?
2 ボヘミアってハプスブルク家なの?
1 フランツ・フェルディナントはフランツ・ヨーゼフの2つ下の弟
2つ下の弟(フランツが長男、フェルディナントが三男)です。皇位継承者がフランツの唯一の息子ルドルフではない理由は自殺したからです。エリザベートをご覧になった方はご存知ですね。
では、なぜ皇位継承者はフランツのすぐ下の弟の次男ではなく三男なのでしょう?。
その答えは「エリザベート」には描かれていません。しかし、「エリザベート」をより深く楽しむためには是非知っておいていただきたいと思います。
2 ボヘミアはハプスブルク帝国の一角
ボヘミアはハプスブルク、つまりオーストリア帝国に含まれていました。それもゾフィー皇太后はボヘミア貴族を重用していました。エリザベートの出演者にシュヴァルツェンベルクがいますが、このシュヴァルツェンベルクがボヘミア貴族です。
次男マクシミリアン
長男フランツ・ヨーゼフと三男フェルディナントの間に次男マクシミリアンがいました。
次男マクシミリアンはオーストリア海軍(当時のオーストリアは内陸国ではなく、アドリア海方面に港を持っていました)で軍歴を積み、マクシミリアンの尽力でオーストリア海軍の戦力が充実しています。その功績からも極めて進歩的な人物であった事が想像できます。
次男マクシミリアンは長男フランツ・ヨーゼフとは違うタイプでしたが、「人々からも愛される」という面ではフランツ以上とも言われた人物でした。そして、フランツとマクシミリアンはとても仲が良かったそうです。しかし、フランツ・ヨーゼフは自らの長男ルドルフを皇位継承者にする事を望み、マクシミリアンはアドリア海に面したトリエステに移る事になりました。
メキシコ皇帝となる
フランス皇帝ナポレオン三世が、マクシミリアンに目をつけメキシコ帝国の皇帝の座に就くことを要請しました。フランツ・ヨーゼフは嫡子ルドルフに何かあった場合、マクシミリアンが皇位継承者になることを望んでおり、マクシミリアンがヨーロッパに留まるように強く慰留しました。しかしマクシミリアンはフランスとメキシコ保守派に請われ、新天地メキシコに旅立ちメキシコ皇帝となりました。しかし、後ろ盾であったフランスが北米から撤退し、マクシミリアンは窮地に陥ります。マクシミリアンは退位しメキシコを脱出することもできたのですが、彼に従う数多くの人々を見捨てる事を拒否し、ついに捕えられ処刑されました。最後の言葉はメキシコの明るい未来を願ったものだったと伝えられています。
ブダペストの戴冠式
「エリザベート」にブタペストでのハンガリー王冠の戴冠式のシーンがあります。この戴冠式でルキーニが「人々は熱狂している!」と語り、その後にハンガリー独立派のエルマーが悔しがるシーンが続きますが、「エリザベート」では描かれていない事が2つあります。
1 愛弟マクシミリアン死す
フランツが愛する実弟マクシミリアンが処刑されたのは、まさにこの戴冠式の時だったのです。戴冠式の時に「マクシミリアン処刑される」の第一報がフランツ・ヨーゼフに届いたそうです。一見華やかな戴冠式の裏では実はフランツの深い悲しみがあったのです。
2 二重帝国でいいのか?
エルマーの台詞のように、以前と変わらないのでは?という意味ではありません。ハンガリーだけでなく、ボヘミアも独立運動が巻き起こっていました。「なぜマジャール人のハンガリーだけが独立でき、我々チェコ人は独立できないのだ!」と。
実際、聖ヴァーツラフの王冠をフランツが戴冠する事で、オーストリア=ハンガリー=ボヘミア三重帝国も構想されていたのです。
そして、この後フランツは愛するものを次々と失ってゆくのです。
投稿者プロフィール
最新の投稿
- キット紹介 review-kit2022年9月23日モデルズビット 1/48 F-82 ツインマスタング キットレビュー Modelsvit
- チェコ2022年7月2日フォマパン400撮影2022年5月~6月
- 音楽2022年6月29日再評価を望む!~星組エリザベート
- ウクライナ2022年6月21日ウクライナ絡みのプラモデル完成品