チェコの赤い時代とロシア人との微妙な距離に関する一考察

「チェコは共産主義国家だった」と40代以下の方に伝えると、驚かれることが多いです。事実、チェコスロバキア(当時)は1940年代後半から1980年代末まで共産主義国家でした。この「赤い時代」の経験は現在でもチェコ人とロシア人との関係に微妙な影を落としているような気がします。今回は私の経験も交えながら、そのあたりを考えたいと思います。

共産党一党独裁の「赤い時代」

第二次世界大戦、チェコはナチス・ドイツに占領されました。解放したのは東から来たソ連軍。伝えられている話しだと、チェコ人はソ連軍を温かく迎えたようです。戦後、チェコは再びスロバキアと組み、主権を回復しました。

チェコスロバキア共産党のトップ、ゴットワルト

アメリカを中心とする自由主義圏に入るか、ソビエト連邦を中心とする共産主義圏に入るか、微妙な時がありましたが決定打になったのは1948年2月に起きた「二月クーデター」です。

「二月クーデター」によりソ連のサポートを得たチェコスロバキア共産党が政権を掌握。戦前に外相を務めたベネシュが大統領が辞し、共産党のゴットワルトが就任しました。以降、チェコスロバキアは完全に共産主義圏に組み込まれ、事実上の共産党一党支配が確立します。

共産党は重工業重視、国有化、集団農場化を柱とするソ連モデルを採用しましたが、1960年代になると経済成長は鈍化しました。そこで共産主義体制を守りながら、チェコスロバキアに合ったモデルをつくる改革「プラハの春」が1968年にスタート。しかし、国内への影響を懸念したソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍によってつぶされました。

「プラハの春」以降は「正常化時代」と言われ、改革以前の社会に戻りました。人々は硬直化した社会や経済に諦め、私生活に没入するようになります。

1989年に共産党政権が崩壊した

1977年に反体制グループが民主化を求める「憲章77」を発表。1985年にソ連に改革派のゴルバチョフが書記長に就任したあたりから潮目が変わります。やがてチェコスロバキアでも民主化を求める声が高まり、1989年に共産党一党支配が崩壊し、「赤い時代」に終止符が打たれました。

ロシア人との微妙な関係

チェコ人とロシア人は共にスラヴ人に属しますが、「プラハの春」を押しつぶされた記憶もあってか、微妙な関係に映ります。

チェコ人に聞くと「ロシア人は好きではない」とよく耳にしますし、うっかりロシア語で話しかけると、かなり嫌がられます。一方、ロシア人は「チェコは美しい国、大好き」と答えますが。

2021年5月14日、ロシア政府はチェコを「非友好国」に指定しました。チェコ人とロシア人との微妙な関係に終止符が打たれるのはいつなのでしょうか。

投稿者プロフィール

nitta
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新田浩之(にったひろし)、1987年神戸市生まれ。神戸大学国際文化学研究科修了。2018年にチェコ政府観光局公認「チェコ親善アンバサダー」に就任。普段はライターとして関西の鉄道や中東欧・ロシアの鉄道や歴史などを書く。講演なども手掛ける。著書『ロシア・ヨーロッパの鉄道旅行について書いてみた』

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