アメリカからの技術を活かしたチェコの名車 CKDタトラ車
チェコの首都プラハを歩きますと、必ずと言っていいほど丸型の路面電車に出くわします。日本人観光客からは「かわいい」という声を聞きますが、実は鉄道界に多大な功績を果たした名車なのです。今回はCKDタトラ車を取り上げます。
アメリカの技術を活かしたCKDタトラ車
CKDタトラ社はチェコにあった鉄道車両メーカーで、2000年代にドイツのシーメンス社に売却されました。長年にわたり鉄道車両を製造したのですが、最も有名なのが「タトラ車」と呼ばれる路面電車です。
時は第二次世界大戦直後に遡ります。当時、チェコの首都プラハには網の目のように路面電車が走っていました。路面電車を近代化するべく、タトラ社はアメリカ側と交渉を進めていました。当時、アメリカは「PCCカー」と呼ばれる最先端の路面電車を製造し、世界からの注目を集めていました。
「PCCカー」はカルダン駆動など最先端の技術を採用し、低振動、低騒音を実現しました。タトラ社も「PCCカー」の技術を取り入れた新車の製造を目指したのです。
1947年、タトラ社はアメリカ側と「PCCカー」に関するライセンス生産契約にこぎ着けました。これだけ書くと何のインパクトもありませんが、チェコスロバキア(当時)では1948年に「二月クーデター」が起き、ソビエト連邦を中心とする共産主義圏に組み込まれました。当然のことながら、共産主義圏では原則としてアメリカとの本格的な取引や協力はご法度。まさしくギリギリのタイミングだったのです。
1951年に初代「タトラカー」T1形がデビュー。1955年には早くも2代目のT2形がデビューしました。ちなみにT2形は現在でもプラハを元気に走り回っています。
製造数13000両以上を誇るT3形
1960年に「タトラ車」の完成系ともいえるT3形がデビューしました。T3形は最終的に13000両以上が製造され、路面電車では世界トップクラスの製造両数を誇ります。なお製造両数1位の路面電車はソビエト連邦製のKTM-5形と言われています。
T3形は従来車と比べると約2トンの軽量化に成功。美しい丸型のフォルムは旧共産圏の路面電車の代名詞に。T3形はチェコスロバキアのみならず、東ドイツやソビエト連邦などの旧東側諸国に輸出されました。日本にも土佐電気鉄道(現とさでん交通)に譲渡されましたが、目立った活躍をせずに廃車になりました。
T3形は約30年にわたり製造され、数多くの改造車が登場しています。したがって、当分は元気にヨーロッパの街並みを走る丸型フォルムの車両が見られそうです。
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ゲスト紹介
投稿者プロフィール
- 新田浩之(にったひろし)、1987年神戸市生まれ。神戸大学国際文化学研究科修了。2018年にチェコ政府観光局公認「チェコ親善アンバサダー」に就任。普段はライターとして関西の鉄道や中東欧・ロシアの鉄道や歴史などを書く。講演なども手掛ける。著書『ロシア・ヨーロッパの鉄道旅行について書いてみた』
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