私たちはこれまでもこれからも!~チェコのバリケードとトーチカ

チェコ Králíkyのトーチカ バリケード
バリケードですね

チェコ、ポーランド、ウクライナなど中央ヨーロッパの歴史が複雑であることは何回か触れてきたのですが、その名残と呼べる場所をご紹介しましょう。この画像を見てチェコや中央ヨーロッパについて少しでも興味を持っていただければと思います。

画像提供 

なぜこの画像をご紹介するのか?

1 そもそも、ほりいさんの画像に興味を持ったから

もともとはほりいさんのインスタグラムでごく一部が紹介され興味を持ったのが。チェコの軍事遺産的なものを日本で紹介していた例は少ないので、個人的にとても興味を持ちました

https://www.instagram.com/p/B4OHHPOg8lm/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

こちらは、第二次世界大戦時の、歩兵小屋2。チェコとポーランドの国境地帯にたくさん残っているそうです。私が見る限りチェコがナチスドイツに併合されている第二次大戦中に作られたものではなく、チェコスロヴァキア共和国時代のものではないかと思います。

2 エデュアルド社長の回答中にチェコの歴史が含まれているので、その前段階としての紹介

エデュアルド社長の回答のチェコの歴史が含まれていますが、「当然〇〇」という箇所が日本人には直観的に分かりにくいのは?と思ったからです。日本の多くの地域は他国の支配を受けたことが少ないので、あまりシビアに考えないのですが、中欧ではセンシティブな話になります。

Byli jsme a budem!

チェコ Králíkyのトーチカ バリケード

このトーチカにこう書かれています

Byli jsme a budem!

日本語に直訳すると「私たちはこれまでもこれからも!」

です。ちょっとこれでは分かりにくいので、少し注釈を入れます。

初めてこのフレーズが登場したのは1920年頃、つまりオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)が滅亡しチェコスロヴァキア第1共和国が生まれたころです。

私たちはこれまでもこれからも! の意味は概ね、こうなります

私たちはこれまでも(ハプスブルク家の支配に入る前からも)これからも!

ハプスブルク帝国が存在する前から私たちはここにいたし、これからもいます!という強烈なメッセージです。なので、チェコをハプスブルク家と同一視してしまうのは、チェコの方の気分を害する可能性があります。

関連リンク

ハプスブルク帝国とは何者か? どこまで領土が広がっていたのか?

日本でも良く知られた例えだと、スコットランド人にイングランド!というようなものです。そもそも「イギリス」という呼び名は日本だけですしね、イギリスの呼び名は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」=UKが世界的には一般的だと思います。イギリスはイングランドのスペイン語読みで本来イングランドを指しますから、日本人同時ならともかく、特にスコットランド人やウェールズ人には「イギリス人」は恐らく禁句です。

ほりいさんからご提供いただいた画像

チェコ Králíkyのトーチカ バリケード
チェコ Králíkyのトーチカ バリケード
チェコ Králíkyのトーチカ バリケード
チェコ Králíkyのトーチカ バリケード
歩兵小屋=歩兵宿舎は恐らくこれです
チェコ Králíkyのトーチカ バリケード
チェコ Králíkyのトーチカ バリケード

投稿者プロフィール

まいど! maido
まいど! maido
模型工房M代表。
模型好き。カメラ好き。宝塚歌劇好き。
各模型雑誌で掲載多数。
艦船模型、飛行機模型、AFV模型などプラモデル全般の制作代行も承っております。
  1. 恐らくトーチカの事
  2. 恐らくトーチカの事

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